地名の由来を調べてみると、その土地や地域の歴史、風土が見えてきます。
堺市では、地形、人名、伝説、いろいろな物から付けられた地名が今もたくさん使われています。
なかには、当初の漢字から転じて別の漢字に置き換えられたところも。
コラムでは堺市内の地名の由来を区別にご紹介していきますが、こちらは東区編です。
他の区の地名由来のページは、こちらのリンクからどうぞ。
堺区 北区 中区 美原区 南区 西区
昔の東区
古墳時代から須恵器の生産が行われ、中世は、その技術を生かした「河内鋳物師」として知られる金工地帯として栄えました。近世以降は河内木綿の栽培や緞通の生産と、常に時代のニーズに合わせた特色ある産業・文化を育んできました。
昭和に入り、南海高野線沿いのベッドタウンとして大きく変貌しましたが、かつては狭山池の利水による、「条里制」、「荘園」の名残をとどめる美しい田園地帯が続いていました。
土地の歴史がわかる!地名の由来【東区編】
登美丘(とみおか)
1950年(昭和25年)4月に野田村と大草村が合併しました。
合併委員会が新しい町名を募集したところ、野田村字西野の木村亀次さんの名づけた登美丘町に決定しました。
この辺りは、江戸時代の元禄の頃から新田開発が行われ、丘陵地の景色の良い所で、この丘に登ると眺めも心も美しくなるとの意味がこめられていました。
野田(のだ)
野田の地名は、古事記に見える「多遅比野(たじひの)=堺市東部から美原町、羽曳野市にまたがる広い地域」の原野の意味である、「野」に由来すると考えられています。
南北朝の頃、高野線北野田駅の南の方、西除川のほとりに野田城がありました。
野田城は、南北朝時代に野田荘の地頭をしていた野田四郎正勝が築いた城で、南朝方の楠正成に従って、幕府軍とよく対峙しましたが、三代目正康のとき、この地で敗れ戦死し、多くの村人も犠牲になったといわれています。これらの人々を弔うために建てられた、「大悲庵(大悲寺)」が南野田にあります。
この辺りは、荘園時代は野田の荘と言われ、「野田」の地名は、北野田、南野田として使われています
白鷺(しらさぎ)
昭和40年頃に団地が造成されましたが、それまでこの辺りは、田んぼが広がる地域でした。青々とした田に白鷺が舞い降りて美しい風景だったことから、白鷺と名づけられました。
南海高野線の白鷺駅は、1964年(昭和39年に新設されました。もともとは中百舌鳥運動場前臨時駅として相対式2面の仮設ホームが造られたのですが、ほとんど使われずに放置され、その跡地に開業したのが白鷺駅です。
日置荘(ひきしょう)
日置荘の地名は、古代、太陽神の祭祀をもって大和政権に奉仕していたといわれる、「日置部(ひきべ)」集団の居住地であり、また、中世には興福寺の荘園であった「日置荘」がおかれたことに由来するといわれています。
明治時代に萩原天神に合祀されましたが、日置荘西町に日の神をまつってきたといわれる「日高宮(日高神社)」がありました。西村(現在の日置荘西町)の庄屋、日置家19代目、日置正美が村人とともに日高宮に献灯した、「日置里常夜灯」がわずかに残り、往時の面影をしのばせます。
明治22年、新しい町村制によって、北・原寺・西・田中新田の村々が合併することになり、
この辺りが日置氏の荘園であったことから、日置荘と名付けられました。
日置荘原寺町(ひきしょうはらでらまち)
江戸時代は原寺村でしたが、1889年(明治22年)に日置荘村の大字となり、1959年(昭和34年)に日置荘原寺町となりました。
「原寺」という地名は、聖武天皇勅願、行基創建と伝えられる大聖寺があり、それを原寺と俗称したことによります。
大聖寺は、明治初期の神仏分離で移転廃寺となりました。
南八下(みなみやしも)
明治22年に新しくできた町村制によって八上郡の小寺、大饗、石原、菩提、野尻、石原小寺錯雑地、大饗菩提錯雑地の村々が合併しました。
八上郡の下にできた村ということから「八下」、南にあるから「南八下村」となりました。
関茶屋(せきちゃや)
元禄12年(1699年)から日置荘西村の庄屋である日置正近が新田として開拓しました。
地名は、西隣の大野芝との国境に大野関があったことと、また、日置氏の初代が西高野街道に関を設け、後にその関跡に茶屋が設けられたことによるそうです。
草尾(くさお)
元禄12年(1699年)から、草部村の豪農大塚吉右衛門と、踞尾村の豪農 北村六右衛門が、新田として開発しました。
新田名には、両者の出身村から一文字ずつとって「草」「尾」と名づけられました。
資料:堺市サイト
ttps://www.city.sakai.lg.jp/higashi/shokaimiryoku/kunitsuite/chimeinoarekore.html
https://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/jutaku/jutaku/jukyohyoji/chimeiyurai.html
堀田暁生編「大阪の地名由来辞典」※
堀田暁生編「大阪の地名由来辞典」について
堀田暁生編「大阪の地名由来辞典」(東京堂出版)は、大阪府内の地名の由来を記した本です。
当ページでは、こちらの本も参考にさせていただきました。
由来だけなく、地名の変遷や、どんなところだったのか、昔の文書でどのように書かれていたか等、とても詳しく紹介されています。
現存する地名だけでなく、今は無き地名もピックアップされています。
堺だけでなく府内全域の地名をまとめたこの本は、とにかくとても面白いので、地名や変遷に興味がある方にはオススメの1冊です。
|